河合彩
- ジャンル
- スポーツ・解説者/文化人/MC
- 出身地
- 東京都
- 誕生日
- 1975/4/4
- 血液型
- O
- 性別
- 女
- 特技
- 英語(TOEIC 850点)、スペイン語(勉強中)、PC
- 趣味
- 料理・猫と遊ぶこと・ブログ
- ブログ・公式サイト
- http://ameblo.jp/kawai-aya/
河合彩の出演可能なイベント
テレビ・ラジオCM/PR活動
|講演会/トークショー
河合彩 について
7歳より友人の影響で、フィギュアスケート(女子シングル)を始める。13歳の時、膝の故障を理由にアイスダンスへ転向。全くスケーターとしては無名だった14歳の時、コーチに「お前のスケートのゴールはどこだ?」と聞かれ、迷わず「長野オリンピック」と回答。これをきっかけに、本格的なトレーニングを開始する。フィギュアスケートでは、ナショナルチームに入った後に小さな国際大会を経てグランプリシリーズや世界選手権等に出場するのが通例だが、1994年11月、ある出来事をきっかけに日本選手にとっては最も重要なグランプリシリーズ・NHK杯にて国際大会デビューを果たす。この時、一緒に出場していた日本代表選手は、河合彩を知る人はほとんどいなかった。同シーズンに2つ目の国際大会として世界選手権に出場。
1995年より正式にJOC長野オリンピック強化選手に選出される。この後、数々の国際大会を経て1998年長野冬季オリンピックに、10年ぶりのアイスダンス日本代表として出場。
同年、世界選手権出場後、経済的な理由で引退する。
その後、スポーツ実況のできるアナウンサーになることを決意し、在京のテレビ局数社の新卒採用試験を受ける。1999年、日本テレビ放送網㈱にアナウンサーとして入社。数々の番組に出演し、当時女性アナウンサーとしては珍しく、スポーツリポーターを多数経験。2001年12月、編成局スポーツへ異動。「スポーツうるぐす」「スポーツMAX」の制作ディレクターを担当。その間、自らの人脈により元スピードスケーター三宮恵利子がトヨタ・ヴィッツレースに参戦することを知り企画を提案。独占取材の交渉に成功し、半年間の取材を経て、スポーツニュースでは長尺といえる約10分の特集を2夜連続トータル20分の企画をディレクションする。
2002年12月、再びフィギュアスケート・ナショナルコーチを目指すべく、日本テレビ放送網㈱を退社し、カナダ・トロントに語学留学する。その間、カナダ人コミュニティーに入り、英語の上達を目的にアルゼンチンタンゴを始めたが、徐徐にその魅力にとりつかれる。幼少からのフィギュアスケートのおかげか、他者よりも上達が早かったため、短期間で当時のインストラクターのアシスタントに。帰国後は趣味としてアルゼンチンタンゴを学んでいたが、当時のタンゴの先生(現ブロードウェイ「フォーエバータンゴ」メインダンサー)からの強い勧めにより、ショータンゴの勉強を始める。
2006年、本場アルゼンチン・ブエノスアイレスで行われた世界タンゴ選手権・ステージタンゴ部門にてセミファイナルまで進む。その後、現在に至るまで日本にて数々のタンゴショーに出演。
一方、2005年4月よりITを駆使した不動産ソリューションの提供を事業ドメインとする上場直後の新興企業に就職。数ヶ月の役員秘書経験を経てブランディング部門に配属。不動産取引において重要とされるブランディング活動の中で、PR(広報)・IRをはじめ、広告・宣伝などプロモーション業務全般に携わる。
勤務先の企業が新しい企業であったため、コーポレートブランディング、新規ブランドの立ち上げ、ブランド管理を主に担当。TVCM、ラジオCMを中心とした広告・宣伝の企画・出稿に携わる。小規模の組織であるため内製の必要性から、専門的なソフトも含むいくつかのPCスキルを習得。また、マスコミ勤務時の原稿作成経験を活かし、会員向けメールマガジンやサイトコピー、プレスリリースなども担当する。
2009年10月、上記企業を退社。もう一度スポーツの分野に関わることを決意。現在は、日本におけるスポーツを文化として定着させることを目的に様々な活動を開始している。
スポーツ選手としての実体験、アナウンサーとして伝えた経験、スポーツ番組制作ディレクターとして表現した経験、そしてブランドを創出し、企画・演出、世に広めるという経験を活かし、私だからこそできる新しい視点・切り口でスポーツ界を支え、選手・スポーツに携わる人・観て応援する人、全ての方々にスポーツの持つ本当の魅力、問題、可能性を理解してもらうことを願っている。
1995年より正式にJOC長野オリンピック強化選手に選出される。この後、数々の国際大会を経て1998年長野冬季オリンピックに、10年ぶりのアイスダンス日本代表として出場。
同年、世界選手権出場後、経済的な理由で引退する。
その後、スポーツ実況のできるアナウンサーになることを決意し、在京のテレビ局数社の新卒採用試験を受ける。1999年、日本テレビ放送網㈱にアナウンサーとして入社。数々の番組に出演し、当時女性アナウンサーとしては珍しく、スポーツリポーターを多数経験。2001年12月、編成局スポーツへ異動。「スポーツうるぐす」「スポーツMAX」の制作ディレクターを担当。その間、自らの人脈により元スピードスケーター三宮恵利子がトヨタ・ヴィッツレースに参戦することを知り企画を提案。独占取材の交渉に成功し、半年間の取材を経て、スポーツニュースでは長尺といえる約10分の特集を2夜連続トータル20分の企画をディレクションする。
2002年12月、再びフィギュアスケート・ナショナルコーチを目指すべく、日本テレビ放送網㈱を退社し、カナダ・トロントに語学留学する。その間、カナダ人コミュニティーに入り、英語の上達を目的にアルゼンチンタンゴを始めたが、徐徐にその魅力にとりつかれる。幼少からのフィギュアスケートのおかげか、他者よりも上達が早かったため、短期間で当時のインストラクターのアシスタントに。帰国後は趣味としてアルゼンチンタンゴを学んでいたが、当時のタンゴの先生(現ブロードウェイ「フォーエバータンゴ」メインダンサー)からの強い勧めにより、ショータンゴの勉強を始める。
2006年、本場アルゼンチン・ブエノスアイレスで行われた世界タンゴ選手権・ステージタンゴ部門にてセミファイナルまで進む。その後、現在に至るまで日本にて数々のタンゴショーに出演。
一方、2005年4月よりITを駆使した不動産ソリューションの提供を事業ドメインとする上場直後の新興企業に就職。数ヶ月の役員秘書経験を経てブランディング部門に配属。不動産取引において重要とされるブランディング活動の中で、PR(広報)・IRをはじめ、広告・宣伝などプロモーション業務全般に携わる。
勤務先の企業が新しい企業であったため、コーポレートブランディング、新規ブランドの立ち上げ、ブランド管理を主に担当。TVCM、ラジオCMを中心とした広告・宣伝の企画・出稿に携わる。小規模の組織であるため内製の必要性から、専門的なソフトも含むいくつかのPCスキルを習得。また、マスコミ勤務時の原稿作成経験を活かし、会員向けメールマガジンやサイトコピー、プレスリリースなども担当する。
2009年10月、上記企業を退社。もう一度スポーツの分野に関わることを決意。現在は、日本におけるスポーツを文化として定着させることを目的に様々な活動を開始している。
スポーツ選手としての実体験、アナウンサーとして伝えた経験、スポーツ番組制作ディレクターとして表現した経験、そしてブランドを創出し、企画・演出、世に広めるという経験を活かし、私だからこそできる新しい視点・切り口でスポーツ界を支え、選手・スポーツに携わる人・観て応援する人、全ての方々にスポーツの持つ本当の魅力、問題、可能性を理解してもらうことを願っている。
フィギュアスケート・アイスダンス 主な成績 |
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1994年11月 NHK杯 9位(NHK杯4回出場) 1997年1月 全日本選手権 優勝 1997年3月 世界選手権 22位(世界選手権3回出場) 1997年12月 全日本選手権 優勝 アジア選手権 優勝 1998年2月 長野冬季オリンピック 23位 1998年4月 引退 |
アルゼンチンタンゴ 主な活動 |
2003年 カナダ留学中に趣味でアルゼンチンタンゴをはじめ、 半年後にはカナダのタンゴ教室のアシスタントを勤める。 2006年8月 世界タンゴ選手権 セミファイナリスト 2006年12月 在日アルゼンチン大使館のイベントにてショーを行う 2007年8月 六本木ヒルズ・ラテンフェスティバルにゲスト出演 2008年 東宝ダンスホールイベントにゲスト出演 ※その他、多数タンゴショー出演の経験あり |
日本テレビアナウンサー 主な担当番組 |
「峰竜太のほんの昼メシ前」 「24時間テレビ」 「ロンブー龍」 「ぐるナイ」 「ご存知ですか」 「企業ウォッチ21」 「東京最新版」 「NNN24」 「スポットニュース」 「スポット天気」 「箱根駅伝」 「全国高校サッカー」 「横浜国際女子駅伝」 「サントリーオープン(ゴルフ)」 「イースタン中継」 「プリンセスカップ(テニス)」 「正力松太郎杯(柔道)」 「ラグビー中継」他 スポーツ報知「ゴールデンスピリット賞」授賞式 |
日本テレビ 編成局スポーツ時代の担当番組 |
「スポーツうるぐす」 「スポーツMAX」 「箱根駅伝」 「横浜国際女子駅伝」 |