安岡チョーク
- ジャンル
- スポーツ・解説者/文化人
- 出身地
- タイ王国プラチュアップ・キリ・カン県
- 誕生日
- 1973/1/18
- 性別
- 男
安岡チョークの出演可能なイベント
安岡チョーク について
生まれつき両足が欠損。1988年、バンコク市スリソワン養護学校(中等部)在学中に車いすレースに出会い、タイ国内のレースに出場し始める。
1990年に初の国際大会となる第10回大分国際車いすマラソン大会に出場。1992年、タイ代表としてバルセロナパラリンピック競技大会出場。
1996年にはスポーツ功労により、タイ王国王室勲章を史上最年少で受勲。1996年、アトランタパラリンピック競技大会10,000m銅メダル獲得、マラソン5位入賞。
2003年に国際パラリンピック委員会の特例措置により、正式に日本代表選手として承認を受け、2004年、日本代表選手としてアテネパラリンピック競技大会800m金メダル、400m銀メダル、400m×4リレー銅メダルを獲得。
大分県賞詞(県民栄誉賞)を2度受賞している。その後も数々のレースに出場し、メダルを獲得。
経歴 |
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1973年 タイ王国プラチュアップ・キリ・カン県に生まれる生まれつき両足が欠損 1988年 バンコク市スリソワン養護学校中等部卒業在学中に車いすレースに出会う パタヤ職業訓練校(電気・機械科)卒業タイ国内のレースに出場し始める 1990年 初の国際大会となる第10回大分国際車いすマラソン大会に出場 1992年 バルセロナパラリンピック競技大会出場 2000年 シドニーパラリンピック競技大会出場タイ選手団の旗手を務める 日本人と結婚 2002年 ひらた医院入社(看護助手として看護部に配属) 2004年 日本代表選手としてアテネパラリンピック競技大会800m金メダル、400m銀メダル、 400m×4リレー銅メダルを獲得。大分県賞詞(県民栄誉賞)を2度受賞 2005年 第25回大分合同新聞スポーツ賞国際賞受賞 ひらた医院退社 アソウヒューマニーセンター入社 2008年 北京パラリンピック競技大会出場 福岡県議会・福岡県スポーツ議員連盟より感謝状を贈られる 2009年 アソウヒューマニーセンター退社 2010年 東京都多摩障害者スポーツセンター主催のジュニア陸上競技レッスン講師として、ジュニアの指導に取り組む 2011年 リーフラス株式会社入社 2012年 ロンドンパラリンピック競技大会出場 2014年 イスタンブールマラソン大会2位 |
主な戦歴 |
1992年 バルセロナパラリンピック競技大会出場 1996年 アトランタパラリンピック競技大会出場10,000m 銅メダル獲得、マラソン5位入賞 1999年 フェスピックバンコク大会1,500m 金メダル、10,000m 金メダル、マラソン銀メダル獲得 2000年 シドニーパラリンピック競技大会出場 2004年 日本代表選手としてアテネパラリンピック競技大会出場800m 金メダル、400m 銀メダル、400m×4リレー銅メダル獲得。 2006年 IPC陸上競技世界選手権大会5,000m 銅メダル獲得 2007年 ソウル国際車いすマラソン3位 2008年 北京パラリンピック競技大会出場マラソン13位 2012年 ロンドンパラリンピック競技大会出場 2014年 イスタンブールマラソン大会2位 2015年 全国車いす駅伝競走大会優勝 |
講演出演歴 |
東京都新宿区立新宿養護学校 東京都稲城市立向陽台小学校 順天堂大学健康科学部国際シンポジウム 日本リハビリテーション専門学校同窓会 第6回東京ボーイズコレクション スポーツ・オブ・ハートオープニングセレモニー:ファッションショー「Heart 新世紀 東京都立城南特別支援学校 |
講演テーマ |
「Overcome-乗り越えていくこと」 内容 先天性下肢欠損として生まれ、車いすもない環境で幼少時代は思うように生活できなかった。中学生のとき、車いす陸上競技に出会い、高みを目指して努力する楽しさや充実感を知る。そして、アテネパラリンピックに出場したが、レース中にまさかのクラッシュで転倒。そこからメダルを獲得するまで。 |